進学心通信【つれづれherb】
最近の子供は、粘りがないと思います。
昔の人間が、そう思うのです。
ただし、その昔の人間も粘りがなくなっています。
生活環境が改善され便利になったからです。
身体的には、家電の発達により、肉体的疲労は少なくなりました。
(肉体的改善と疲労求めて、ジムに通うくらいですから)
私が考える粘りは、脳の粘りの欠如です。
暗記する力と、物事を深く考える力がなくなっています。
時間をかけて考えるということではなく、粘り強く、深く読むことができるかです。
高学歴である政治家の不要な発言、あまりにも多すぎます。
表ヅラで判断をしてしまうことの戒めです。
スマホ、パソコンなどの活用により、検索すればすぐわかるため、
前頭葉に記憶を貯める必要がなくなり退化しているのです。
人間より処理能力の早い、AI・デジタル化が進んでいます。
その影響の簡単な一例ですが、デジタルの時計です。見れば時間が一瞬で分かります。
短針と長針のついているアナログ時計では、
短針で時間を、長針で分を見分け考えなければいけません。
もちろん見慣れれば、一瞬で判断できます。(処理能力の早い人です)
また、電子辞書では、便利ゆえ、手垢が残らず、見た回数、自分に対する重要度がわかりません。
デジタル化は私たちをある意味でバカに変えていきます。
でも、使えば本当に、楽です。機械の表示、判断に任せたら良いからです。
だからこそ退化しないように、前頭葉に記憶を貯め、判断する訓練の必要性を感じます。
我慢、少し我慢・・・
経験を積み、努力をした結果、見てわかるのは大変良いことで大切です。
デジタルでイメージすることなく、見てわかるのは、便利さのみを追求する場合です。
ですから、成長段階の子供に、筋道もなく見てわかる、
楽をする教育は良いのだろうかと疑問に思います。我慢、少し我慢。
高学年以上の生徒さんには、社会理科の高速暗記のCD、DVDをお渡ししています。
速聴は、脳力を活性化し、暗記力を強めると言われています。
何回も聞き、筋書きを覚えて、発声する訓練が必要です。
また、英語では、シャドーイングです。
国語も、音読が大切ですが、高学年になると、
内容を早く理解する速読が求められますので例外になる場合があり、
むしろ、漢字の書き取り練習にて脳力を伸ばすべきです。
(覚えきってしまったものを、繰り返すのは、あまり脳に刺激を与えませんので、
そこからは、記憶の定着のみで、脳力開発は進みません)
社会人になっても、我慢することばっかりです。
目新しいことに、どんどんあたれば、我慢することは少ないのですが、
毎日の仕事、学習、基礎訓練は単純な繰り返しが多く我慢が必要です。
我慢強さが実力をつけます。